さぁ、
元号が変わりますよ。
おそらく、
この何十年かの間で一番、
元号について注目される瞬間ではないでしょうか。
新元号の予想に関しては、
色々な方がやられているとので、
そちらにお任せして…
今回は、
元号あるある
元号トリビア的な
日本の元号についての、
うんちくを見ていこうと思います。
“昭和”という元号、
実は違う元号に決まりかけていたのを、
ご存知ですか?
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世界で初めての元号?日本以外では?
世界で初めての元号は、
紀元前140年の中国 前漢の武帝 が用いた、
「建元(けんげん)」
という元号です。
それ以降、中国では、
歴史の教科書にも登場する、
「清」
まで元号が用いられましたが、
それ以降は消滅してしまいます。
そもそも、
何故元号が用いられるようになったかというと、
『君主が特定の時代に名前を付ける行為は、
君主が空間だけでなく、
時間まで支配するという思想に基づく』
何とも、
スケールが大きい話ですね。
その後、中国の他にも、
ベトナム、朝鮮、日本などで、
元号は採用されましたが、
現在、元号が使われている国は、
我が日本のみ。
ある意味、
元号というものも
日本の文化と呼べるのではないでしょうか。
そんな我が日本の最初の元号は、
「大化の改新」でお馴染みの
『大化』であります。
とはいえ、
7世紀中後期までは、まだ断続的にしか、
元号は用いられておらず、
701年(飛鳥時代)
文武天皇が『大宝(たいほう)』から、
継続的に元号が、
使用されるようになりました。
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元号の総数と使用漢字トリビア
歴代の元号は
247元号あります。
そのうち、
元号で使われた文字の総数は504文字。
しかし、
元号で使用された漢字の総数は、
たったの72文字
だけなんです。
その少なさに、ちょっと意外。
ということは、
同じ漢字が何度も使われている訳ですね。
そんでもって、
そのうち一番多く使われた漢字が、
『永』29回
2番目は
『天』
『元』の27回
3番目が
『治』の21回
となっております。
と、ちょっとここで、
気になる傾向があります。
過去の元号において、
10回以上使われている漢字が
・天・元・治・応・正・長・文・和・安
・延・暦・寛・保・承・仁・嘉・平 ・康・宝
とあるのですが、
近年で使用されている元号を見比べてみると、
慶応
明治
大正
昭和
平成
と、何と!
この使用頻度の高い漢字がかなり選ばれている
じゃありませんか!
しかも、
『平成』の時の候補
「正化」「修文」「平成」
は全て被ってます。
という事は、
新元号の漢字はこの中から選ばれる
…かもしれませんね。
また、
『昭和』『平成』のように、
使用頻度の高い漢字+過去未使用漢字
の組み合わせ
このパターン、
今回もあるんじゃないですかね。
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例外?四文字元号が存在!
我が国の元号において、
用いることのできる文字数は、
明確に制限されていないのですが、
基本的には二文字が原則となっています、
しかし例外として、
聖武天皇の時代から、
『天平感宝』
という、
四文字元号が使用されました。
その後、749年孝謙天皇の即位で
『天平勝宝』
に改元され、
以後、
『天平宝字』
『天平神護』
『神護景雲』
と継続。
計5つの四文字元号が存在しましたが、
これ以降は二文字元号しか登場していません。
これはこれで斬新ですね。
改元の理由
昔の改元は、
新天皇の即位による改元以外にも、
疾病、地震、火災、大風、干ばつ、厄運、
怪異や彗星の出現など、
凶事をきっかけにした改元や、
天皇在位中に、
縁起の良い動物や品が贈られた等の
めでたい出来事での改元も行われました。
『明治』以降においては、
天皇一代に限り一つの元号を用いる、
「一世一元の制」となっています。
この事により、
近代の元号の使用期間が長くなるわけです。
元号使用期間が最短、最長なものは?
日本の元号史上で、
最も期間が短かったのは
『暦仁(りゃくにん)』
鎌倉時代・四条天皇在位中
1238年12月30日から使われた元号でしたが、
わずか2カ月と14日で
『延応』に改元されました。
暦仁(りゃくにん)=略人
この世から人が略される(=死ぬ)
という語呂の悪さが敬遠されました。
作る前に、
確認しておけよ!という話ですが…。
逆に一番長かったのは、
我らが『昭和』(1926〜1989)
62年と14日です。
時に2つの元号が…
じつは、
同時に2つの元号が存在した時もあります。
政治的背景が元号に見受けられるものとして、
二人の天皇が存在し、それに伴い、
二つの朝廷が対立した、
それが南北朝時代。
持明院統(北朝)
大覚寺統(南朝)
それぞれに元号が存在し、
同時期に2つの元号が存在する事態となりました。
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近年の元号雑学
江戸時代最後の元号は、
『慶應』
戊辰戦争で全国政府の座を奪取した新政府は、
同年9月8日に「慶應」から
新元号『明治』に改元しました。
この明治という元号を、
考案したのは元越前福井藩主・松平春嶽。
しかし、
この時の選定方法というのが、
天皇による”くじ引き”だったと言います。
そんな『明治』という元号ですが、
過去の改元で計10回も候補に挙がっており、
11回目でやっと採用となった苦労人。
というように、
元号制定にあたっては、
いくつか候補が挙げられ、
その中から元号は選ばれます。
『大正』の時は、
「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」
という候補が。
『昭和』の時は、
「神化」「元化」「昭和」「神和」
「同和」「継明」「順明」「明保」
「寛安」「元安」
『平成』の時は
「正化」「修文」「平成」
この平成も、
『慶應』
の時のボツ元号だったので、
もしかしたら、
これら候補元号の中に”新元号”が、
隠れているかもしれません。
昭和誕生のエピソード
と、ここで、
昭和誕生の隠れたエピソードとして、
実は昭和は本命の元号ではありませんでした。
大正から変わる新元号は昭和ではなく、
『光文』
であったと言われています。
新元号を真っ先にスクープしたのは、
東京日日新聞(現・毎日新聞)。
12月25日 大正天皇が崩御しその数時間後には、
『新元号は「光文」』
といち早く報道しました。
しかし、
政府が発表した新元号は、
『昭和』
第一候補
「光文」をスクープされた政府が、
第二候補の
「昭和」に切り替えたのです。
この世紀の大スクープは、
一転して大誤報となり、
東京日日新聞社長は辞任に追い込まれました。
という事で、
加熱する元号予想は、
候補が取り沙汰されれば、される程、
候補の範囲が狭まっていく現象が起こりうるので、
一般人が思いつくような元号にはならないでしょう。
おそらく、
過去に使われた事のない漢字が、
一文字使われる可能性が大かと思います。
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最後に
平成から新しい元号に変わるという事で、
元号について、
興味を持つ人も少なくないでしょう。
日本固有の文化 元号
これが、
千年、二千年と今後も続いて行くと思うと、
何か感慨深いものを感じてしまいます。
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