横綱引退の基準や条件とは?千代の富士と貴乃花から見る引退の美学!

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「横綱になる力士は、
その地位にふさわしい品格と力量を要求される」

大相撲の番付において、
最高位に格付けされた”横綱”という地位。

それゆえに、大関みたいな
「負け越したら降格」
というものもありません。

それでは、
横綱の引退を決定付ける、
具体的な基準や条件というものはあるのでしょうか?


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横綱の引退の基準

結論としまして
横綱が引退を迫られる、
明確な基準というものは設定されていません。

ですが、かつて、
北の湖理事長が掲げていたもので、
『横綱のノルマは12勝以上』

この数値は、
かなり具体的な指標かと思います。

また、
鶴田卓彦 12代横綱審議委員長は、
『10勝以上挙げられない横綱に、綱を締める資格はない』
とまで言わしめました。

・横綱は常に優勝争いの中に加わり続ける
・大関以下には決して負けてはいけない

などなど横綱は絶対なのです。

横綱たるもの 勝てなくなったら引退なのです

一方で横綱審議委員会が、

(イ)休場が多い場合。
(ロ)横綱として体面を汚す場合
(ハ)横綱として不成績であり、その位にたえないと認めた場合

などで、
横綱の品格を著しく汚す場合に、

『引退勧告』
というものもが出される場合がありますが、

その効力には強制力はありません。


とは言え、
・負け越す
・ケガ等で土俵に長く上がれない

などということは、
横綱の責任を果たしていないので、
当然、引退を迫られます。


この横綱という地位までくると、
引退というものは、
決まりごとや条件なでではなく、
自分で決めるもの。

引退の基準というものは、
各横綱に任されているのです

こういう点をみても、
横綱の格というものが伺えます。


そんな、
横綱の引退劇は人それぞれ。

歴代の名横綱の”引き際”が対照的な2人を、
比べてみましょう。


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『潔さ』千代の富士の引き際の美学

千代の富士は、
平成2年九州場所で優勝するも、
次の平成3年初場所、春場所と休場。

大鵬の優勝記録32回にあと”1”と迫っていた、
千代の富士。

誰もがその記録に、
追いつき、追い越すのは時間の問題であると、
思っていた矢先…



千代の富士が休場していた、
春場所で旋風を巻き起こしたのが、
のちの角界を背負って立つ貴花田(貴乃花)でありました。

東前頭13枚目ながら、
11連勝を含む12勝3敗で優勝争いを演じました。

そんな勢いのある貴花田と、
休場明けの千代の富士が、
平成3年夏場所の初日から取り組みが組まれました。



結果、
貴花田が寄り切りで完勝。
18歳9ヶ月の史上最年少金星は、
まさに千代の富士に引導を渡した一番となりました。

そして、
3日目で貴闘力に敗れ2敗を喫したその夜に、
突然の引退を表明。



その後、
千代の富士の引退を決断させた、
貴花田がのちの大横綱になるのですから、

千代の富士の眼力が、
間違っていなかったということになりますね。

そんな、
数々の記録を残した大横綱でありましたが、
その”引き際”の潔さこそ、
まさに大横綱の辞め方であったように思います。


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『責任と執念』貴乃花が上がり続けた土俵

千代の富士に引導を渡した、
平成の大横綱 貴花田は、

晩年、ケガとの戦いでした。

20回目の優勝以降、
2年優勝から遠ざかった貴乃花は、
相次ぐ故障を克服して13年1月復活優勝を果たします。

翌、大阪場所は優勝に一歩届かなかったものの、
春場所は初日から13連勝。

しかし、
14日目の武双山戦で右膝を負傷してしまいます。

一人で歩けないほどのケガを負いながらも、
千秋楽を強行出場してしまいます。
決定戦では本割で一蹴された武蔵丸を上手投げで優勝。

しかし、
その代償はあまりにも大きいものでした。

再び土俵に上がるまでに7場所を要し、
8場所ぶりに復活するも、
膝はまだ万全ではありませんでした。

結果、
千秋楽で負けて優勝は逃すも、
12勝3敗。

しかし、
その翌場所も休場を余儀なくされました。

そして、
貴乃花自身最後の場所となった
2003年初場所。

2日目に左肩を負傷し、
3日目、4日目を休場するも、

5日目に横綱異例の場所途中の再出場。
7日目、8日目で連敗を喫し、
そこでようやく引退を表明しました。

千代の富士戦の勝ちから12年後の30歳。

ボロボロになりながらも、
土俵に上がり続けた貴乃花。

「こいつなら将来の相撲界を託せる」と、
潔く”スパッと引退した千代の富士。

この両横綱の引退は、
本当、対照的でありました。


では、
今渦中の横綱といえば、
稀勢の里
は引退の基準に達していないのでしょうか?

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稀勢の里はなぜ引退できなかったのか?

横綱 稀勢の里の引き際のタイプで言うなら、
もう千代の富士タイプにはなれません。



となると、
稀勢の里は貴乃花タイプの引退になるのですが、

綱の責任という視点で見るなら、
もうとっくに貴乃花のレベルは、
超えてしまっていると思います。


当時の貴乃花でさえ、
7場所の休場に対して横綱審議委員会は、
引退するのか?土俵に上がるのか?迫られ、
怪我は完治しないまま復帰。

進退をかけた場所で貴乃花はしっかり結果を残しています。
(復帰場所で12勝3敗)


なぜ、稀勢の里は引退できなかったのか?

協会的にも、
日本人横綱を大切にしたい思いが強すぎました。
そして”甘い”裁定に疑問と違和感しか感じません。

そもそも、
横綱昇進の際も、
昇進条件に達したとは言いがたいレベルでの、
昇進に時期尚早の声もありました。

そういった意味でも、
簡単に引退させることができなかったのです。

ある意味、
稀勢の里は被害者
といえるかもしれません。


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