『ミスターアマ野球』と呼ばれた、
杉浦正則
確かに彼は、
プロには行っていない。
しかし、
杉浦正則こそ”プロ”の野球選手と言っても、
過言ではないであろう。
その理由は、
自分輝かせる場所を頑なにこだわり続けた…
その理由とは?
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杉浦正則のプレースタイル
右のスリークウォーターから、
投げ込む速球の球速は、
MAX149km/h
高校時代から、
「スライダーのキレは天下一品」
と評され、
フォーク、カーブ、シュートと豊富な球種。
ちなみに、
社会人野球の最速は、
今年からイチローとチームメイトになった、
田沢純一の156km/h
社会人時代の野茂でも、
MAXは150km/h
であった。
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プロ野球入りを拒み続けた理由とは?
杉浦正則自身輝かせる場所に選んだ場所は、
プロの世界ではなく、
アマチュアの最高峰
オリンピックの舞台
であった。
1992年
バルセロナオリンピック
日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献
しかし彼の中では、
プロ入りよりも、
”オリンピックで金メダル”
に最大の価値を見出していた。
これが、
プロ野球を拒否し続けた最大の理由である。
なので、
当然プロに行く理由が見つからなかった。
それを察したプロ側も、
杉浦をドラフトで指名しなかった。
しかし、
4年後のアトランタオリンピックでも、
勝利の女神に見放されてしまう。
決勝で急場に敗れ銀メダルを獲得するも、
やはり金メダルが諦められなかった。
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杉浦正則の引退後から現在
2000年のシドニーオリンピックでは、
プロアマ混合チーム選出で、
諦めかけたオリンピックであったが、
経験を買われて代表入りを果たした。
しかし、
メダル獲得はならなかった。
2001年から2004年までの4年間、
日本生命の投手コーチに就任。
2005年は社業に専念したが、
2006年からは同チームの監督に就任。
同年日本選手権大会では準優勝に終わっている。
2009年シーズン終了後に監督を退任。
2010年から、
NHKで高校野球の解説を担当。
夏の甲子園の
中京大中京VS南陽工 が初めての解説であった。
2015年5月
社会人野球日本代表投手コーチに就任。
杉浦正則は現在、
日本生命で”法人営業”の仕事をしている。
法人営業とは、
企業同士のさまざまな取引を担当する営業を言います。
杉浦正則
プロではない
”プロ”の野球選手の一人であることには間違いない。
日本代表という点では、
形は違えど、
WBCも同じ日本代表戦が控えている。
杉浦は、
どんな視線でWBCを見るのであろうか?
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