江川卓が監督になれない理由はあの事件とナベツネ?毎回次期監督候補の真実は?

スポーツ


ここ何年も、
優勝から遠ざかったチームを立て直すには、
もう監督交代しかない!


そこで、
ジャイアンの次期監督候補の話になるのだが、
毎回毎回名前が取り沙汰されるのが、

江川卓

私も四十路になるのだが、
ジャイアンツの監督交代時には、何十年、
必ずといっていいほど彼の名前を耳にしてきた。

そして、
日曜夜の日テレなどで、
笑いながら否定する姿も何度も見てきた。

そう、
江川卓の監督就任は未だに実現していない。

これだけ、
毎回名前が挙がって、
一度も監督就任が実現していないのはなぜだろうか?

その理由、原因を調べてみたいと思う。


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ジャイアンツ監督就任の条件

巨人の監督就任条件には、
一般に言われている、
巨人の『生え抜き』選手である。

またそれ以外に、
あまり知られていない暗黙の裏条件がある。

それは、
『4番かエースを務めた選手』
であること。

巨人の監督という重責に耐えられるのは、
現役時代に同等のプレッシャーに耐えて、
結果を残した人間しか務まらない、

と考えられているからだ。


そういった点で見れば、
江川卓はエースを張ってきたと言ってもいいだろう。

最多勝2回
最優秀防御率1回
最多奪三振3回

数字としては文句はない。

しいて言えば、
実働年数こそ、9年と短いか。


そうなると問題となってくるのは、
『生え抜き』
という点だろうか。

江川卓は生え抜き選手ではないのか?

江川を語る上で、
忘れてならないのが、

『空白の1日』『江川事件』

である。



これだけの成績を残しながら、

むしろ、
『阪神OB』という声や、
『生え抜き選手』ではない!と、

今だにに付きまとう、
江川の野球人生最大の汚点の、
“ブラック”なイメージが障害の一つのようである。


ここで、
『空白の1日』の事も、
触れておかなければなるまい。


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”空白の1日”江川事件

江川、法大4年生時(1977年)
ドラフト会議で、
クラウンライターライオンズから、
1位指名を受けるも、入団を拒否する。



その後、
作新学院職員として、
一年浪人するのだか、

前年のドラフト指名で得た、
クラウンの独占交渉権が、
11月20日で消滅するという解釈から、

翌年1978ドラフト会議前日の
11月21日に、
巨人が江川と電撃契約を結んでしまったのだ。


セリーグ事務局としては、
この契約を無効としたが、

巨人がこれを不服とし、
1978年のドラフト会議をボイコットしてしまう。

そんな巨人に抗議する形で、
南海、近鉄、ロッテ、阪神が、
江川をドラフト1位で指名。

そして、
阪神が独占交渉権を獲得するのだが、

当然、
巨人はリーグ脱退も辞さない姿勢で、
猛抗議の結果、

一度は阪神に入団を促したコミッショナーも、
態度を一転、

『一度阪神に入団し、のちに巨人にトレード』
という、
手のひら返しの「強い要望」という形で、
訳のわからない強権を発動した。



そして、
1979年1月31日、

阪神に一度入団した上で、
その日のうちに、
小林繁とトレードという形で、
江川卓の巨人入団がここに決着したのだった。


と、これが、
江川にまとわりつく負のイメージである。

世間やマスコミが江川に対するバッシングは、
容易に想像できるであろう。


少し余談であるが、
江川は沢村賞をとっていないが、
一度確実に狙える成績の年があった。

【1981】

この年 江川卓

20勝7敗
勝率.769
投球回数 240.1回
奪三振221
防御率2.29
完投20(完封7)

(最多勝・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率・MVP・最優秀投手・ベストナイン・完投数1位・完封数1位)
タイトル総なめである。

これで取れなっかった。

この年の沢村賞は同じチームの西本聖

18勝12敗
勝率.600
投球回数257.2回
奪三振126
防御率2.58
完投 14

これは、
球界が沢村賞を取らせなかった
と言っても過言ではない。

これも江川のやってきたことの”つけ”なのであろうか?


「球界の紳士たれ」

をうたう巨人において、
『生え抜き』規定よりも、

むしろ、
こちらの方が、
監督就任の障害になっているように見えるのも、
当然かもしれない。



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江川のやる気が変わった?

一部報道では、

長嶋政権下で、
2度、投手コーチの要請があったのだが、
2度とも断っている。

また、
2001年ヘッドコーチの要請が来たときは、
条件面で折り合わず、話は流れた、
とも言われてる。



かねてよりコーチ要請をかたくなに断り、
「監督なら」という対応で、
巨人と接してきたため敬遠された…ともあるが、

何より
「江川と巨人の縁を切る」と、

“ナベツネ”
の逆鱗にふれている事は、
かなりのマイナス要因である。



ここで、
私が思うに江川自身の心境の変化が、
あったのではないだろうか?

おそらく、
引退後数年は監督就任に関して、

江川事件もあり、
マスコミや世間からのバッシングを
なるべく避けたと思ったはずなので、

頑なに断っていた。


しかし、
ほとぼりが冷め、
解説やタレントで人気がで始めると、

監督業に少しずつ、
惹かれていったのではないだろうか?

その証拠ではないのが、
投手コーチは断わるものの、

ヘッドコーチには、
条件面まで話が進んでいる。

つまり、
条件さえ合えば、
ヘッドコーチ江川卓が見られたかもしれないのだ。

その条件面というのも、

江川テレビ解説やタレント活動などを含めると、
3億近くあったと言われている。

それれらを投げ捨てて、
また、世間やマスコミの前にさらされる
と、考えたらそれに見合った条件といのも、
相当なものであったのではないだろうか?

最近でこそ、

栗山英樹
工藤公康

みたいに、
コーチ経験のない解説者が、
いきなり監督をやるというトレンド
はあるものの、

やはり、
現場に一度戻って、
その後監督というのも”有り”のシナリオだと思う。

その後、原監督の後任の次期監督選びの際に、

原辰徳が江川を推す形で、
江川監督案を持ちだしナベツネの了承も得た
などという報道もあったが、

ここでも実現しなかったが、
この最終段階まで話が進んだ、
もしかしたら快諾していたのかもしれない。



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最後に

江川卓が巨人の監督になれない理由は、
大きく分けて2つ

・空白の1日のドラフト事件
・ナベツネ

しかし、一番の要因は、
江川自身が監督就任を本当に望んでいない
のであろう。

平成の時代も変わるこのご時世で、
もう江川事件を詳しく知る者もそう多くはない。

『野球解説などの”あの理論”で監督をやったら成功するのか?』

この部分で、
1度江川監督というものを見てみたい気もする。



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